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痛苦的回忆阪神地震

发布时间:2017-10-24  来源:  浏览:955

   我们都知道,日本是多地震国家,常常发生震级不等的地震,人们对于一些震级较低的地震已经有了一定的自我防范意识,但是当遇上类似22年前的阪神淡路大地震时,人们依然会手足无措,让我们的朝日晴子带你一起来回忆一下,那次给人们留下痛苦回忆的地震。

  水をかけてもかけても火が衰えない。後ろからも火の手が上がり、目の前にオレンジ色が広がる。火の粉がまるで雨のようだ。「ほんまに消えるんやろか……」。あまりにも無力に思えたと消防隊員が書いている。

 

  无论怎么泼水,火就是灭不了。身后,火舌卷来,眼前一片橘红色。火花就好似下雨一般,铺天盖地袭来。“难道就真的没办法了吗……”。消防队员在书中讲述了当时的无力之感。

 

  22年前のきょう、震災に見舞われた神戸である。隊員たちの手記を集めた『阪神淡路大震災 消防隊員死闘の記』を開くと、一人ひとりの迷いや恐怖がある。消火栓が使えず、限られた水をどこに向ければいいか分からない。自分も死ぬかもしれないとの思いが頭をよぎる。

 

  22年前的今天,神户发生了地震。翻开汇总了消防队员日志的《阪神淡路大地震 消防队员拼命记录》,里面写满了每个人的迷茫和恐惧。无法使用消防栓,不知道应该把有限的水洒向哪里。脑子里冒出了或许会葬送在这里的念头。

 

  多くの被害を出した火災は当時、戦時の空襲によく例えられた。あちこちで黒煙が上がり炎の広がりが止められない。まちを焼き尽くす焼夷(しょうい)弾に重なったのだろう。

 

  在当时,这场造成严重损失的火灾常常被形容为战争时期的空袭。到处都是滚滚黑烟,火势也在不断扩大。与烧尽城市的炸弹没有任何差别。

 

  地震の後に救出された約3万5千人のうち、約2万7千人が近隣の住民らに助けられたという推計がある。地域の結びつき、助け合いがどれだけ大切か。隣人の顔が見えにくい都市部でこそ教訓としたい。

 

据推算在地震中获救约3万5千人中,有约2万7千人是被邻居救出来的。由此可见,地区的联系和互助是多么的重要啊。尤其是在绝少能看到邻居的市中心,希望能注重这个教训。

 

  「突然、家中が踊り出したように見えた」。熊本地震で被災した人の言葉を思い出す。例えばあす、就寝中に家具や家電が襲いかかってきたらと想像してみる。家具などの置き方を見直す。非常時の持ち出し袋を準備する。すぐにできる小さな備えがある。

 

  “突然间,整个家仿佛都在跳动”,我想起了遭遇熊本地震的人的话语。打个比方,想象下如果明天睡觉时发生地震,家具倒下来怎么办?我们要重新看待下家具的布置方法,还要准备突然状况携带的救急袋。这些都是马上能弄好的小事情。

 

  神戸市にはかつて戦災も震災も耐えた防火壁があり、「神戸の壁」と呼ばれた。移設された淡路島を訪れると、コンクリートのひび割れがしわを刻んでいるように見えた。「忘れてはいけない」。声にならぬ声を聞き取りたい。

 

  神户市在过去曾有防火墙,经历过战争也遭受过地震,被称为“神户之墙”。后来搬到了淡路岛,我看到龟裂的混凝土就如同皱纹一般,在上面留下了岁月的痕迹。“绝对不能忘记”,希望我们能够听到这些无声的呐喊。

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